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某を抱きたいと仰るならば義兄弟の契りを交わされよ、と幸村はそう言った。 肉欲とは程遠い次元に存在する言葉の重さを一瞬政宗は思ったが、否やを唱えるはずもない。幸村を我が物とできるならばどのような深みにでも沈む覚悟は出来ていた。政宗は頷きひとつで気持ちを伝える。 幸村は嬉しいものか悲しいものか、曖昧な表情で顔を俯けると、政宗に背を向け衣擦れの音だけを残して立ち上がる。ぐいと目の前に晒された幸村の無防備な足首の腱に、知らず政宗の目は奪われたが、当の幸村は知る由も無く無言で部屋を出て行った。 白い花が、今まさに庭の生垣で花弁を広げつつあった。日の落ちるのを待ちかねたように、美しい天然の螺旋をゆるやかに解いていく。一刻ごとに、恥らうように、そろそろと外界の空気へと溶けていくその花の奇妙なほどの白さへ、ただ政宗は無心に目を遣っていた。彼の中の幸村がその無垢の体を開き、そして自らに汚される。その想像は傷ひとつない彼の健康的な肢体に傷跡を付けようとする戦場の高揚にも似ていた。 だからどの位時が過ぎたのかは定かでない。 杯というには丸みの薄い、素焼きの小皿を持った幸村は、片手に灯りを提げて帰ってきた。ふと気付けばすっかり日は落ちており、宵の入り口の青い闇に開きかかった夕顔の花が仄白く浮かんでいた。 幸村は何も言わず政宗の正面に座すると、畳の上に小皿を置いた。ひたりと彼の目を見据えたまま、自らの懐に差し入れた手が取り出したのは護身用と思しき小刀、そして端布。幸村はそれらを膝に置くと、淡々とした仕草で単衣の袂を捲り上げる。顕わになった腕は、迸るような生命感がまるで内側から発光しているかのように鮮烈な印象を残した。 僅かな空気の流れに揺れる灯りが、幸村の頬と小刀の切っ先を僅かに赤く染めている。政宗は戦場のような緊張感に抗わず身を委ねていた。 覚悟を決めたように幸村は小さく息をつくと、小刀の鞘を払った。そしてきらりと光る切っ先を、迷わず肘の内側の薄い皮膚に突き立てる。その刃を操るのは自分ではないのに、知らず政宗は極めた高揚に息を詰めた。 幸村の白い腕に、一筋の赤い血が蛇のように纏わりついていた。幸村は注意深く小刀を置くと、代わりに小皿を蛇の頭に宛がう。赤い蛇は手首の前で軌道を変え、音も無く皿の中に零れ落ちて行った。 用意してあった端布で幸村が止血するのを、政宗は魂を抜かれたようにただ見詰めていた。頭の奥がじんじんと熱い。今自分たち二人が為そうとしていることの真の意味を、その重さを、政宗は正しく理解した。殺し合うよりなお深く、愛し合うにはまだ重すぎる。これは命がけの契約なのだった 貴殿も、と言葉少なに差し出された小刀を、政宗は迷い無く受け取った。上着から左腕を引き抜き、一思いに皮膚を裂く。途端に湧き出る血潮を小皿に注ぐ。彼の血を受けた土の器に、自らの血を溶け合わす。 手早く血を止めると、政宗は小皿を掲げて幸村を見た。もうどうするのかは分かっている。幸村が頷くのを見ると、彼はそれに唇を付け、半ばまで呷った。血の味だ。血を飲んでいるのだから当たり前なのだが、彼の血の溶け込んだそれは、鉄の匂いをさせながらもどこか甘かった。身が震えるほどの感慨が、稲妻のように体中を駆け巡った。幸村を飲んでいる、いま俺は彼の命へ唇で触れ舌で愛で嚥下した。政宗は静かに興奮した。幸村の血が己の血と混じり合って身の内を駆け巡る想像に酔い痴れた。 政宗から渡された皿を、幸村もまた呷る。彼の白い咽がゆっくりと音を立てて動くのが、恐ろしいほど官能的ですらあった。 皿から口を離し、幸村は唇に付いた血をぺろりと舐めた。そのまま皿を片手に立ち上がり、縁側へ向かう。つられて傍らへ歩み寄った政宗へ振り向かずに、幸村は何の躊躇いも無く、二人の血がべっとりと付いた小皿を庭へと投げた。薄い素焼きの皿は地面に叩きつけられ、ぱりんと高い音を立てて割れる。夕顔の生垣の根元だった。 その瞬間、政宗の目には確かに咲き誇る真紅の夕顔の花が見えた。深紅の衣装を身につけて戦場を舞い踊る彼の幻想が重なる。敵の血に濡れて笑う鬼の子は、この手でその花を開かせるのか。 互いに砕けて朽ちて土になるまで違わぬ誓いということです。幸村はそう言って政宗の瞳を見た。黒曜石のような彼の瞳が微かに揺らいで見えて、政宗は彼を自らの胸へと導く。 後悔してんのか?あえて耳元で軽く問えば、まさか、とくぐもった声が返って来る。ただ、恐いのです。なにが。穏やかな政宗の問いかけに、幸村は彼の胸に埋めていた顔を上げた。 我らは互いを縛りあったのです。貴殿は我が肉、某は貴殿の骨、けして別たれることのない、名も知らぬひとつの生き物になってしもうたのです。そう言ったきり幸村はまた政宗の胸に顔を伏せた。彼は泣いてはいなかった。抱くのはただ、未知のものへの恐れのみだった。 溶けて流れて朽ちて――渾沌 政宗が低く呟いた。続く愛の言葉(もはやそれが愛と呼べるのかも定かではないが)は、庭の夕顔に吸い込まれて消えた。 アサダさん、お誕生日おめでとうございます 0805 |