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ふと目を覚ますと、元就は褥から半身を起こしていた。白い背中が月明りを遮って、闇の中でぼんやりと発光するようだった。元親は布団の波間から見える腰に目を遣り、じっくりとその白い裸体を視線で睨め上げていった。貝殻骨の内側にぽつんと付いた接吻の花。首に中途半端な長さの髪がまとわりついている。それに指を入れ梳かしたい衝動を堪えていると、何の前触れもなく元就が振り向いた。 「起きておったか」 驚くでも責めるでもないその声は、普段より少し高く掠れていた。元親は返事代わりにごろりとうつ伏せると、片肘を布団についてその掌に頭を乗せた。普段以上に気の抜け切った体勢のまま声をかける。 「寝付けねえのか」 二人きりの部屋に元親の低い声は、じわりと染み透って行った。とうに灯りも消えている。互いの熱を絡めあったのが遥か昔に思えるほどに、静まり切った深い夜である。 褥を共にする関係になってから、元就についてそれまでは知らなかったことが次々と見えてきた。神経質そうな見た目に反して、異様に寝付きが良く寝覚めも良いという健康的な面もその一つだ。だからこそ元親は不思議がった。元就はその疑問を汲み取って応えた。 「月が明る過ぎてな」 「あァ…」 元就の視線を追って元親も明り取りから空を見上げた。皓々と丸い月が、まるで二人を覗きこむかのように闇の中で鎮座していた。 「偶にはこんなのもいい。お前さん、ガキみてえに熟睡するからな」 冷えるぜ、と布団を空けてやると、元就は育ちの良い猫のようにするりと隙間へ入り込んできた。しかしその目はまだ月を見ている。面白くない元親が後ろから肩に手を回そうとすると、ぴしゃりと撥ねつけられた。 「そなたと寝ると夢を見ない。それだけのこと」 大げさに痛がって見せる元親を振り向きもせず、元就は反対側を向いたまま独りごとのように言った。放っておけば部屋の空気に溶かされて消えてしまいそうな言葉を、しかし元親は拾い上げた。 そっと掌で肩に触れる。今度は振り払われなかった。二人の肌の間の隙間から外気を締め出すように、ゆっくり距離を詰めれば、元就は呆気ないほど無抵抗で元親の胸に収まった。 「夢を見るのか」 「見る」 「どんな」 短い言葉の応酬に元就は一瞬たじろいだようだったが、布団をかき上げ首元まですっぽり埋まると、思いだすようにとつとつと言った。 「浜辺を歩く、ただそれだけの夢よ。左手に海があり、右手には切れ目なく松林。空は曇っているがどうやら朝らしい。時折海鳥が飛ぶ。波が寄せて返す。砂浜は歩きにくい。しかし、ただ只管に海辺を歩く」 そこで一度息を吐くと、元就は布団の中で自らの膝を抱いたようだった。眠る元就が無意識のうちによく取る姿勢だった。 「我の他に人は無く、海辺の他に道も無い。振り返れば我の足跡が地平の果てまで続いておる。向き直っても地平の果てまで、海辺の道は続いている。ただ、それだけの夢」 ただ、それだけの。小声で繰り返した元就の髪を、そっと元親は手櫛で梳いた。丸い頭蓋を喉元にぴたりと収めると、元就の体が少し弛緩したのが分かった。 「歩き続けて、気付けば朝が来ている。日輪を仰いで、あれは夢だったと悟る。それの繰り返しよ」 元就が日輪を慕う由縁の、その一端を垣間見た気がしたが、それよりも元親には問いたいことがあった。 「毎日見るのか」 「言うておろうが。そなたと二人寝の夜は見ん」 投げやりに言った元就の手は冷えていた。気付いた元親が布団の中で握ったが、もはや無抵抗の元就はされるがままになっていた。元親が訪れない限り、元就の方から四国へ赴くことはない。元親の訪れにしても、そう頻繁というわけではない。そして元就は歩き続ける。 自分の中の推測が、手前味噌な確信に変わるのを元親は止められなかった。布団の上から元就の腰のあたりに手を置いて、後ろからすっぽりと抱きこむようにすると、彼は少し苦しそうに声を漏らした。そして言った。 「昔からずっと見ていた夢だ。疲れる夢だ、としか思っておらなんだが、もしや長曾我部」 元就は元親の胸の中、首だけを無理に捩じって、目の端で彼を捉えた。二人の視線はようやく絡みあった。 「これは、悪夢なのだろうか?」 日の下で見るのと何ら変わりない、良くできた面のように整った元就の顔立ちの、ただ一点瞳だけが僅かに揺らいでいた。比類なき才智と謳われるこの男は、しかしそんなことも知らないのだ。 元親が知ったと思っていたことでさえ、元就の断面のひとつに過ぎず、その断面すら見方を変えればまるで違う意味を持つ。元就のこんな性質を、思いを、自分の他に誰が知るというのだろう。 月も美しいものだなと呟いて、すっと寝入った元就のすべらかな頬を撫でながら、元親は胸から競り上がってくる何かを押し留めることができなかった。背中に残した接吻の痕のように、浜辺の夢も、自分以外に知られることなくいつか朽ちてしまうのだろうか。そう、元就自身にすら知られることのないままに。 それが悪夢なのだと元就に教えてしまったことは、彼のために良いことだったのかどうか、元親にはもう分からなかった。 |