胡 蝶 の 夢


「某、夢を見ておりました。なにやら見慣れぬ装束を着て、我らは暮れ方の道を歩いておりました。何本もの柱が空に向かって並び立ち、それぞれの柱は灰色の紐で繋がっており、それらは道の両側に点々と続いて、夕焼けの空に影を落としておりました。政宗殿は今より幾分年若く見え、その右目に眼帯は無く、どうやら某の荷まで背負うて頂いているようでした。某は両手に南蛮の菓子とおぼしきものを持ち、その片方は自ら食べ、片方を政宗殿の口元へ差し向けると、政宗殿は童のように口を開いてかぶりつき、一言"甘い"と笑われました」

とつとつと、しかし一息にそう言うと、幸村は目の上に置いていた腕をぱたりと布団の上へ落とした。
「そりゃまた…妙なdreamだな。俺とアンタだけか」
「いかにも。佐助や片倉殿はもちろん、供周りの一人も付けず、お互い気ままに歩いておりました」
「遠乗りか」
「馬もおりませんでした」
不思議そうに応える幸村の額を、政宗はさらりと撫でる。前髪を掻きあげてやると一層幼さが引き立つようだった。その手つきが擽ったかったのか、幸村はむずがるように曖昧な声を出すと、政宗の手に鼻先を押し付けた。

布団の際に座った政宗は、そんな幸村のあどけない仕草に目を細めた。枕の上に散らばった長い後れ毛を梳くように整え、その先に軽く口づける。感覚があるはずもないのに、幸村は視界の外で行われたひそやかな行為を察したようで、僅かに頬を赤らめた。
「ご政務は」
「あらかた片付いた。寂しかったか?」
話題を逸らすような言葉にたっぷりのからかいを籠めて返せば、幸村は思いがけないほど強い瞳で言いきった。
「はい」
政宗が目を見開く番だった。

「夢の中で某は、心底満たされておりました。わけの分からぬことばかりでしたが、それが某や政宗殿にとって、とても穏やかで、大切な時間であることくらいは分かるのです。だからこそ、ぽかんと目を開けて、天井を見て、傍らに人の無いことを知った時は酷く心細く…政宗殿が御戻りになった時は心底嬉しく…」
気持ちに唇が追いつかぬとでも言うように、後になればなるほど幸村の言葉は拙くなった。しかしその言葉を最後まで聞いていられるほどに、政宗は冷静な君子ではなかった。
彼は夜着の上から羽織った着物をぞんざいに投げ捨てると、無遠慮に布団を捲りあげ、幸村の隣に体を沈めた。突然触れた外気と、それより尚冷たい政宗の肌に、幸村は小さく声を上げた。

幸村の手に冷え切った自らの掌を重ね合わせると、政宗は口の端を持ち上げて言った。
「俺にもその夢見せろ」
「…そう都合良く同じ夢が見られますものか」
「一つ布団に一つ枕で寝るんだぜ?見れるだろうよ」
今度は一緒だ、と耳元で囁いて、政宗は笑った。竜の吐息が肌を擽る。酷く近い距離に幸村は、そこはかとない気恥しさと幸福感を噛み締めた。布団の海の中から探り当てた政宗の足を、自らのそれで挟みこむ。氷のようだった温度が、じわじわと自らの熱に溶かされていく。ほう、と政宗が満足げな息を吐いた。



「――あったけえな、アンタ懐炉みたいだな、って先輩が笑ったから、失礼な!っておれも笑って…そんな夢を見ました」
「二段落ちか。手が込んでんな」
かちゃかちゃと陶器の触れあう音をさせながら、キッチンで返事をした政宗は、間もなく手にマグカップを持って戻ってきた。蜂蜜をたっぷり入れたホットミルクは、甘党の幸村の嗜好に合わせた味だ。
ベッドの上で半身を起こしマグカップを受け取ると、幸村は目を細めて一口こくりと飲んだ。そして言った。
「先輩」
「ん?」
「またこの夢もいつか覚めるんじゃないですか」

手の中のマグカップを凝視しながら、幸村はどこか頼りない声で先を続けた。
「目が覚めたらまたあの戦乱の世で、刃を交え命を取り合い、某はあなたさまを残し…」
「幸村」
厳しさは無い、ただほんの少し強い声で、政宗は幸村を制した。
「俺の覚えている限り、たった一度の後悔は、あの日アンタを見送ったことだ。それ以外は何も悔いたことはない。この夢が覚めて米沢の城で目覚めたところで、俺はきっと俺のやりたい事をする。アンタだってそうだろう。俺は俺、アンタはアンタ、何も変わりゃしねえさ」

納得できるような、しかし解せぬような、なんとも抽象的な言葉だったが、幸村は言葉よりも政宗の声と瞳に安堵した。
ずっと昔からそうだったのだと思えば、なるほど確かに何も変わりはしないのかもしれない。幸村がそっと手を差し出すと、政宗はそれに自分の手を添えて、己の頬へと導いた。僅かに自分より低い体温に、幸村は胸の詰まるような思いがした。
「目が覚めたら最初に、先輩を探します」
呟いた幸村の声から、頼りなげな揺らぎは消えていた。政宗は笑って答えた。
「おう。おやすみ、幸村」
額に彼の唇が触れたのを感じで、幸村は再び眠りの世界へと落ちて行った。