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台所の方から聞こえてくる話声で家康は目を覚ました。大学生の暮らすワンルームの広さなんてたかが知れている。肩まで入れば足が出るような炬燵の中でごろりと寝がえりを打てば、シンクに寄り掛かかる三成の足が見えた。 三成はああ見えて結構酒に強い。いや、ある程度の量を飲むとこてんと寝てしまうのだから強くは無いのだろうが、ひと眠りすれば酔いが抜けてしまう。結果的に酔っ払いの醜態を晒したり二日酔いで苦しんだりするのは家康の受け持ちとなり、そのたびに冷え冷えとした視線を注がれるのが常だった。 今だって、鈍く痛む頭を抱えて転がるだけの家康を捨て置いて、三成は携帯相手に歯切れの良い滑舌を披露している。 相手は分かっているので変な嫉妬心などは起きない。ただ、遅くならないうちに帰るという約束の彼に無理矢理酒を勧めてしまった微かな罪悪感が今更胸を過った。三成はこの年になってもきっちりと門限を守るし、その上彼の家族はことさら季節のイベントなどを重視することを家康は知っていた。 通話を終えてささやかな居間に戻ってきた三成の足を捕まえて、家康は小さく「すまん」と呟いた。やはり通話の内容は思った通りだったようで、三成は足を振ってその手を払うと「謝るくらいなら最初からするな」と言い捨てた。まったくもって仰る通り、と家康は炬燵に頭半分まで潜り込んだ。 「怒ってたか?」 「兄さんがこんなことで怒るわけないだろう。まあ、泊まるならもうちょっと早めに言ってほしかったな、とは言われたが」 連絡する暇も与えなかった家康はもはや何も言うことが出来ない。付けっぱなしになっているゲーム画面からは延々と威勢の良い音楽が流れ続けている。三成はゲーム機本体に触れて小さく手を引っ込め、躊躇わずに電源を落とした。相当熱を持っていたのだろう。 降って沸いたような静寂の中、三成は無言で座ると炬燵に足を突っ込む。炬燵の中を縦断する家康の胴の上に足を置くと、台所で注いできたのだろうミネラルウォーターのグラスを一息で空けた。家康が一口くれとねだる暇すら与えない。 沈黙に耐えかねて、家康はもそもそと体を起こすと、手さぐりで掴んだリモコンでチャンネルを変えた。瞬間、どっとスピーカーから漏れだすタレント達の笑い声に、三成は眉を顰める。 「民放は煩いから嫌いだ」 「お前、幾つだ…」 「黙れそして死ね」 ささやかな抵抗もあっという間に制圧され、奪い取られたリモコンは忠実にお昼のニュースへと放送局を移動させた。何の変哲も無い日曜日の昼下がりである。昨日まで世間を彩ったイルミネーションと鈴の音は、どこか遠い世界へと旅立ってしまったらしい。 「あー頭が痛い」 「馬鹿みたいに飲むからだ、この馬鹿者」 「そんなに馬鹿馬鹿言うなよ…」 炬燵の天板に突っ伏した家康はそのままの姿勢で憐れっぽく三成を見上げた。 「…儂に伊達さんみたいな格好良さを求められても困る」 「…なぜここに伊達さんが出てくる」 政宗が車で幸村を迎えに来たという話は酒の肴に三成から聞いていた。その時はさすが伊達さんだなあと聞き流していたが、こういう状況になってみるとまるで我が身の不甲斐なさを詰られたようで酷く肩身が狭いのだった。 三成は"偶然幸村と会って立ち話をしていたところに政宗が――"という話を家康に聞かせたが、彼は少し疑っている。たぶん三成は、幸村と何らかの約束を取り付けて家康からの誘いを断りたかったのだ。そこまで洞察できてしまう自分もどうかと思うが、三成はそういう奴なのだからしょうがない。聖夜を共に過ごそうと家康に誘われる、その時点で三成にとってはとんでもない恥なのだ。それを育ての兄である重治に知られようものならその場で舌を噛み切る覚悟だろう。 苦虫を噛み潰したかのような顔で駅前に現れた三成のことを思い出して、家康は少し笑った。来たくないなら来なければ良いものを、断る理由が無ければ渋々来てしまうのが三成という人間の不器用さである。もちろん、そこに一筋の光明を見出すポジティブさも家康は持ち合わせている。断られないうちは誘い続ける覚悟だ。 その時、炬燵に突っ伏した後頭部に何か柔らかい物がかぶさったのを感じた。家康は跳ね上がるように体を起こすと、背中を伝って落ちそうになったそれを片手で捕まえた。 「クリスマスにお友達の家に行くなら、プレゼントは絶対必要だよって、兄さんが言った」 ふてくされたようにそれだけ言うと、三成は炬燵に潜り込んでしまった。家康は暫く手に持ったマフラーを凝視していたが、ようやく現状を把握すると布団を捲り上げて炬燵に頭を突っ込んだ。 「おーい三成、三成これ、儂にくれるのか」 「死ね!今すぐ!!」 すっかり炬燵の中に籠城してしまった三成は、なんとか家康の頭を炬燵の外へ蹴り出そうとしたが、そのくらいでめげる家康ではない。 「どうしよう三成、てっきりお前はそういうの嫌いかと思って儂、何も用意しとらんのだ!」 「…別に何か欲しくてやったわけじゃない。というか、ここに居ること自体が不本意だ」 「ああそうだな、本当にありがとうな三成、それじゃあとりあえずTDLに行こうか、お前のチケットも儂が買うから、それがクリスマスプレゼントということで、」 「黙れこの浮かれぽんちが!貴様が行きたいだけだろう!」 一際鋭い蹴りが家康の顔面に命中したが、家康はそれを物ともせずに自分も炬燵へ入りこんだ。熱気の籠った暗闇の中で手を伸ばして三成を捕まえる。ぎゃあ、と色気の欠片も無い声がしたが、細い体は呆気なく家康の胸元に転がり込んだ。 後ろから抱きこんだ三成のつむじに鼻を埋めるようにすると、骨っぽい肢体が腕の中でじたばたと暴れる。しかしそのうちに抵抗は力の無い物に変わって行った。 狭い炬燵の中は身じろぎひとつ出来ないし、暴れたせいもあって地獄のように熱いし、電熱器の音はごうごうと煩い。しかし今自分達は世界で二人きりなのだというチープな幻想に浸るにはもってこいの場所だった。 「三成、嬉しい、ありがとう」 ただそれだけの言葉を繰り返すうちに、三成はくったりと力を抜いたまま体を家康に預けるようになった。今時子どもでもしないような馬鹿なじゃれあいが無性におかしくて愛しくて、家康はさらに強く三成を抱き寄せた。 やがて暑さに耐えきれなくなった三成がなけなしの力を振り絞って繰り出した渾身の肘鉄は、暫くのあいだ家康の頬に深刻な外傷を残すことになるのだが、とりあえずこの時の家康がそんな未来を知った所でその腕の力を緩めることは無いだろう。間違い無く、いま彼は(もしかしたら彼も)幸せなのだ。 |