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真田さん、と控えめに呼びかけつつ彼が走り寄ってきた時、門柱に寄り掛かった幸村は携帯電話をぱたんと閉じた所だった。声に振り向けば、果たしてそこには黒いピーコートにチェックのマフラーを巻いた、色白の青年が立っていた。 「寒そうだな」 赤くなった鼻先に目を止めて笑いかければ、三成は寒くなどありません、と少しむきになった様子だ。耳あてに手袋までしている様子はまさしく完全防備と言った感があるが、そういえば今日は寒波が来るとかで、天気予報士のお姉さんが朝のニュースで何度も「暖かい服装でお出かけください」と繰り返していたのだ。道理で寒いはずだ、と幸村はダウンと首の隙間に手をやった。 「もう帰られるんですか」 「サークルに顔を出しただけだからな。石田は?」 「図書館に本を返しに来ました」 ひょいと上げた手には三冊程の分厚い本が掴まれていた。課題レポートの作成にでも使ったのだろう。数日前から晴れて冬休みに入った以上、もはや持っている必要の無いものである。 三成はひらひらと本を振りながら、少し躊躇った後、意を決したように口を開いた。 「もし宜しければ夕食でも食べに行きませんか」 三成は普段このような誘いを自らかけることが無いので、幸村は少々面食らった。それと同時にとても嬉しく思ったので、この誘いを断らなければならないことが酷く申し訳なかった。 幸村は三成から視線を逸らすと、あーとかうーとか言いながら前髪を掻き上げた。どうにかこの純真な後輩を傷つけずに断らなければならない。しかし必死で言い回しを考えている時に携帯電話が鳴動した。万事休す。校門の前に黒光りする車が横付けされたのは、その一瞬後のことだった。 小さく音を立てて運転席の窓が開いた。中から突き出してきたスーツの肘の持ち主など、今更確かめるまでもない。 「待たせたな幸村。寒いだろ、早く乗れよ」 颯爽と、という枕詞が嫌になるほど似合う風情で現れた政宗は、親指で助手席を指し示した。と、後ろで目を丸くしている三成の存在に気付き怪訝な顔をする。 「石田?お前――」 「それでは私はこれで失礼します」 「石田殿!お待ちくだされ!」 思わず素を晒しながら慌てて叫んだ幸村にも気付かず、三成は驚異的な早歩きでその場を後にしてしまった。 「なんだ幸村、石田と約束でもあったのか」 「いえ、そういうわけでは…夕餉を一緒にどうかと誘われたのですが、断りあぐねているうちに先輩がいらして」 「hum…ちっと悪い気もするがしょうがねえ。ほら、早く乗れよ。あまり時間もねえんだ」 導かれるままにボンネットを回り込み助手席の扉を開けると、ちょうど政宗が置いて居た自分のビジネスバッグを後部座席へ放り投げるところだった。そのぞんざいな仕草に苦笑しつつ勢いよく扉を閉め、シートベルトを装着する。カーラジオからは洋楽のクリスマスソングが切れ目なく流れ続けていた。 「イルミネーションと夜景、どっちがいい」 カーナビを操作しながら問う政宗に、幸村は一瞬悩んだ後に「夜景」と答える。all right!政宗の声と共に車は発進した。 政宗の会社はれっきとした週休二日制を採っている。本来土曜日であるクリスマス当日に彼は休日のはずで、幸村と約束を取り付けるなど太陽が東から昇ることと等しく当たり前の流れだった。 しかし折からの不況の中では、休日出社を余儀なくされた政宗はむしろ恵まれているのかもしれない。普段の彼ならすぐにそう割り切れただろうが、冬に入った頃からそれとなく楽しみにしていた約束だったので、悔しさもひとしおだった。二人でイルミネーションを見た後に夜景の見えるレストランに入り、その後高級ホテルのラウンジで飲み直しあわよくばそのまま…などという不埒な妄想をする程度に、彼はロマンティックな男だ。 それが仕事の合間を縫ってのドライブだけで終わってしまうとは。政宗は内心大きく溜息を吐いたが、その時になって助手席の幸村の内心が気になった。別に今日の計画(という名の妄想)を披露していたわけではないが、なにせ一足先に社会人になった政宗との約束だ、それなりに豪華なものを想像たのではないだろうか。 そこまで独りで考えて、政宗はハンドルに頭が付きそうな程俯いた。驚いたのは幸村である。 「政宗殿、前!前をご覧になってくだされ!」 「…また地が出てんぞ幸村。まァそりゃ別にいいんだけどよ」 ふてくされたようにハンドルを切ると、政宗は豪快に合流車線へと入って行ったので、幸村は再び肝を冷やした。 遂に政宗は溜息と共に言った。 「すまねえな幸村。仕事入っちまって」 「それは先輩が謝ることではないですよ。お忙しい中こうして来て下さっただけで有難いです」 眉尻を下げて笑いながら幸村が言うと、もうそれ以上何も言えない政宗は黙るしかない。真面目に前方を見つつハンドルを操り始めた政宗に安心したのか、幸村は更に口を開いた。 「先輩が大学に行かれた時も感じたのですが、その時よりもずっと、先輩が遠くの人に思えます」 「…どういう意味だ」 不穏な言葉にぴくりと政宗の周囲の空気が震える。だから幸村は大きく手を振りながら言葉を添えた。 「おれには手の届かない所に行ってしまったような気がして、少し寂しかったのです。だから今日は、スーツを着てお仕事中の先輩にお会いできて、なんだか不思議な気持ちがします」 「なんだそりゃ。着るもん変わったって俺は俺だぜ」 「いえいえ、姿かたちは大切なものですよ」 噴き出しながら言った政宗へ、至極真面目に幸村は応えた。高速道路の防音壁が途切れると、そこから真っ黒な海と星空が、そして星より眩しく煌めくベイエリアの夜景が幸村の瞳を奪う。 「…綺麗ですね」 「そうだな」 ちらちらと横目で政宗が見遣るのは、眼下に広がる人工の星空ではなく、窓にへばりつかんばかりの勢いで景色に見惚れる幸村の方だったのだが、当の幸村がそんなことに気付くはずもなかった。 「あの光の一つひとつの中に人が居ると考え始めれば、なにやら感慨深くもあります」 ぼうっとした様子で呟く幸村に、政宗は「そうだな」と前置きして言った。 「まあこれからofficeに帰る俺も、遠くから見りゃ綺麗なネオンの一つなんだろうな。まあ、星に比べりゃ随分マシだが」 「どう意味ですか?」 きょとんとした顔で振り返った幸村の唇を、伊達は不意打ちで掠め取った。 「小さな星から何万光年を旅して会いに来るのってのもオツなもんだけどよ、やっぱり都心のビルから車に飛び乗ってアンタを浚いに来る方がcoolじゃねえか。you see?」 にいっと笑ったその顔は、いたずらに成功した悪餓鬼そのままだ。反射的に口を押さえた幸村は、拗ねたように政宗を睨みつけたが、直後に助手席から身を乗り出すと、ハンドルを操る政宗の右頬に触れるようなキスをした。 一瞬、車が大きく蛇行した。 「メリークリスマス」 仕返し成功とばかりに幸村は快活に笑った。対して政宗は全くしてやられたと言った風情で舌打ちなどしている。 「たまーにアンタ、すげえことするよな」 「なんの、先輩に比べたらおれなんてまだまだです」 その言葉に混じったたっぷりの皮肉に、政宗は「言いやがったな」と悪相を濃くした。 「良い子で待ってろよ、幸村。帰ったらとことん可愛がってやる」 「…今晩は佐助が大量のローストビーフと骨付きチキンを用意して待っておるのです」 「バレるような嘘は付くもんじゃねえぜ。mommyは昨日からお出かけだろうが」 すぱっと言い返されて幸村は言葉に詰まった。辛うじて逆転勝利を収めた伊達は、意気揚々と海沿いの道を飛ばして行く。ドライブの終着点である政宗の家で彼の帰りを待つ自分を想像して、幸村は再び頬に血が上がるのを感じた。 Merry merry christmas, and the happy new year!カーラジオから流れてくる洋楽も最高潮に盛り上がり、後方に次々飛び去って行く夜景が二人に淡い光を投じて消える。これから少しだけ政宗と離れるのを寂しいと思ってしまったことは、絶対に口に出さないでおこうと幸村は心に決めた。 |