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ラーメン屋の引き戸を出て暖簾をくぐると、冷え切った戸外の空気が熱気の渦巻く店内のそれと扉を境に混じり合う。もやもやとした温度の潮目を頬の皮膚で感じながら後ろ手で戸を閉めると、彼の後について歩き出した。 今年の冬は雪が多い。都心では年に二三度見るかどうかという年が続いていたのに、ここ一週間ほど雪のちらつく天気が珍しくなくなっていた。曇天を見上げて、ラーメンの熱と味が詰まった息を吐き出す。幸せな吐息は白い煙になって、空に舞い上がって行った。 そんなおれの様子も黒髪に降る雪も顧みず、彼は少し猫背気味に先を歩いて行く。無言で右手をポケットに突っ込むと何かを掴み出して口に放り込み、どこかぼんやりとした声でおれに声を掛けた。 「ガム食うか」 「はい」 間髪いれずに応えてやると、彼はふと口ごもり、ようやく自分が無意識に投げかけた言葉の意味を把握したようだった。 「…マジで?これブラックだぞ。すーすーするぞ」 「構いませぬ」 すーすーという言葉の響きが妙におかしかったので、殊更きっぱりと言葉を重ねた。 「意外だな。アンタこういうの食わないと思ってた」 ほれ、と掌に載せられた小さな四角いガムの粒を、ひと思いに口へ放り込む。がりっと噛むと、噛んだ場所から刺激的な味が広がって、思わず眉尻が下がりそうになるのを必死でこらえた。半歩先を行く彼の顎がゆっくりと上下に動いているのが分かる。今自分たちは同じものを食べているはずなのにこの反応の差はなんだろう。彼の舌は自分と同じ味を脳に伝えているのだろうか。 おれは最近、自分が感じているものが、彼が感じているものと本当に同じなのかどうかと考える。あの真っ黒な瞳に映る世界は、おれの見ている世界よりも固く澄んでいるような気がする。彼と一緒に居れば居るほど、そんなことが気になってくる。一体おれはいつからこんな性質になったのだろう? 「ほら、やっぱり苦手なんだろ」 気が付けば振り向いた彼が、まるで鬼の首でも獲ったかのように笑っていた。 「苦手ではありませぬ。食べたことが無かっただけで」 「じゃあなんで食おうと思ったんだよ」 怪訝な顔で問いかける彼の白い頬には血の色が透けていた。あんなに寒そうに見える彼が、その実自分よりも寒さに強いことをおれは知っている。同じ冬に立っていても、彼と自分の感じる温度はやはり違うのだ。しかしその差違が嫌ではない。まったくもって、嫌ではない。 あなたが好む味がどんなものか知りたかっただけなのだ、と言うことができなくて、おれは雪道に足跡を付ける密やかな遊びに没頭している振りをした。 |